ステンダースのアジア1号店がオープンするまでオーナーのストーリーをご紹介しています。
| 店舗は2007年5月半ばにオープンしましたが、話が持ち上がったのは2006年7月でした。 それまでは、きっかけの連続でした。何がどこでどうなるか分からない、そんな連続。 少しさかのぼりますが・・・ |
| 2002年4月に入社した会社が、外資系の海外引越専門の会社でした。 アメリカ人の支店長が、大阪港に一人で支店を立ち上げるという会社の募集でした。 日本に 30年もいるというアメリカ人支店長のDANは大阪弁で、どんな危機にもジョークを忘れない面白い人。 支店長と私との違いは役職の責任だけであって、後は対等という、フェアな意識の高い人で、論理的に仕事を進めてゆく人でした。会話は毎日英語。30年も日本に居るので英単語を忘れて突然日本語が混じります。 すでに引越会社が市場を独占している中、この大阪支店を2年間で黒字転換させるノウハウはとても勉強になりました。しかし、DANがアメリカに帰るので本社からは引き継げる人がいなくて閉鎖。閉鎖のことは水面下でのことだったのに、私に仕事のオファーが次々と来て、こんな自分でもオファーがくるのかと驚きつつ、横浜の引越会社に決めました。 アパートを見に行った2004年3月が初めての横浜。 そこで担当したお客様のイギリス人、PAULは、横田基地からドイツ基地に引越予定。 |
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電話のやり取りや家に伺ったりする中で、「一緒にドイツに来ないか」とのオファー。 彼は、基地内で軍人向けにアメリカ車の営業を18年もやっているベテランセールスマンで、奥さんと娘さんも一緒だし、代理店業なので独立するまで一緒に住めばいいと言ってくれました。 |
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海外で自分の力を試してみたいと常々思っていたので、約1年半勤めた横浜の会社を退社。 2005年10月にドイツにあるヨーロッパ最大のNATOと米軍共用の空軍基地に発ちました。 3万人が働き、ホテル、病院、学校、スーパー、ジム、教会まである、1種の町の規模です。 外にあるモデル車を見に来る軍人さんに話しかけて、売り込む営業販売。 車はかろうじて免許を持っているくらいで、営業職もしたことがありませんでした。 とにかくカタログを読んで、PAULとロールプレイで覚えていきます。毎日外に立って車に寄ってくる軍人に話しかけます。フル・コミッションの仕事なので、同僚より先に自分が話しかけて売らなくてはなりません。11月末になるとマイナス5度くらい。同僚は寒さに耐えられず、オフィスと外を行き来したり、ネットで遊んだりしている中、すでに言葉のハンディもある私は、そんな余裕もなく、毎日震えながら同僚より先にお客さんにアプローチできる外に立っていました。 |
同僚のイギリス人、オランダ&ドイツハーフ、アメリカ人と。![]() ハーレーのバイクも販売・プロモーションの日は、ハーレーの象徴のオレンジと黒を着て宣伝活動。 |
| ある日、話しかけたお客さんが、車好きなNATO所属のラトビア空軍大尉。 |
![]() 一番中央にいるのがラトビア空軍大尉。国際将校の軍事学校にて。 |
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話していると、日本食が大好きでよく食べに行くから一緒に行こうと誘ってきました。 ラトビアといえば旧ソビエトだし、KGBとか関わってて誘拐とかされるかも! しかも日本人を和食に誘うのは地球の歩き方にも載っているだましの常套手段・・・・。警戒態勢に入りました。それからは、ショールームに毎日のように現れて話していくようになりました。 |
![]() いつもこのオフィスの前で、誰よりも早くお客様をゲットするために立っていました。 |
| 怖いので同僚に話させて、意見を聞いたり、まずPAULと奥さんのおうちに呼んで、2人にもチェックしてもらいました。 10人以上のチェックの末、悪いことをする人に思えないし、軍に所属していることで身元も割れるとのことで、警戒を少し緩めて友達になりました。ラトビアに帰るたびにお土産をくれるのですが、それがステンダースのバスボールと石鹸。ドイツの冬はマイナス10度で、いつも外で震えながら立っている私に、「ゆっくり温まりなさい」とのことでした。 |
![]() 車から雪下ろしを1時間おきにするので体はちょっと温まる・・・。 |
| ドライフラワーがたくさん入っているので、最初は何をもらったのかよくわからず、 しかも石鹸にはへちまが入っているので使い方が最初よくわかりませんでした。香りはとても良かったのですが、肌の弱い私は、荒れることを心配しながら恐る恐る使いました。 荒れるどころか保湿がしっかりされて、お肌がもちもちになったのです。 彼はステンダースが大好きで、ステンダースの店舗の美しさを、目の前にあるかのように話し、写真まで撮ってきて見せてくれました。 |
![]() 見せてくれた写真。 |
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2006年6月、ステンダース商品を日本で売れないかとの話をするようになりました。 3万人のうちのたった一人のラトビア人と、たった一人の日本人が出会う確率の希少さも、何かあるかもしれないとお互い感じました。私がドイツに行ったのが10月、出会ったのが11月。2月から5月に彼はアフガニスタンに駐在。 |
![]() アフガニスタンから写真を送ってくれました。 |
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タイミングがずれると会っていなかった2人です。
空港に送ってもらった搭乗直前までビジネスの話を語りあいました。日本なんてラトビアから見ると地球の裏、しかも、軍人しかしたことのない彼は「ビジネス」という言葉の響きにさえ目を輝かせていました。 |
![]() 私の部屋から見える景色はこんな感じでした。 |
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8月に帰国し、プラン交換をEメールでしながら、とりあえずは派遣で働いていました。 10月のある日、彼が大興奮で電話をかけてくれました。 「幼なじみが投資するから、フランチャイズ権を買って店を出そう!」 店舗???? これは怖い。コストがとにかく怖い・・・ しかもどうやるのか私はさっぱり分からない。そこから、恐ろしい準備がスタートしました。戦いです。 |
| まだまだストーリーはたくさんありますが、これがステンダース・ジャパンの始まりです。 横浜からイギリス人に連れられていったドイツの空軍基地で、ラトビア人と日本人が出会うという、奇跡のような確率から始まったお店。 人生どこで誰に会って、どうなるか分からない。 でも、こうなりたいと思い続けること、人とのかかわりを大切にしておくと、かかる時間は人それぞれですが、その方向に向かって人は進んでいくと思います。 |